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染太郎の投資遍歴(その1)

染太郎が投資を本格的に始めたのは2005年頃で、当時はまだ40歳ぐらいでした。 当時AIC(Alternative Investment Club、海外投資を楽しむ会)という会があって、そこが投資のノウハウ本(ゴミ投資家シリーズという名称でした)を数冊出版していました。それを参考にして、海外に銀行口座を作ってファンドを購入したのが最初だと思います。海外口座といってもプライベートバンクのような大それたものではなく、ファンドも普通の個人が低額で買えるようなものでした。また、個別で中国株を買ったりもしていました。今振り返ると、変なものばかり購入していましたね。これらのファンドや株はリーマンショック後に全部売ってしまいました。海外の口座もクローズしました。この時期の投資はお遊びの域を出ないものでしたが、トータルでは損は出ていなかったように記憶しています。また、「ゴミ投資家のための人生設計入門」やその後に出た橘玲著の「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」という本で、生命保険が不要であるかとか、持ち家を購入すると資産運用なんかできないとかいうことを学び、実際に生命保険を解約し、住宅も賃貸で良いという考えになったのが、その後いろいろ失敗はあったものの資産形成には役立ったと考えています。(「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」は、今でも改訂版のkindle版が入手できるようなので、下にリンクを貼っておきます。)

そして橘玲氏の著作「臆病者のための株入門」に出ていた世界市場全体に投資するのが最も正しい投資方法という考え方に共感するようになり、MSCIコクサイ・インデックスに連動する投資信託が日本でも買えるようになってきたので、これを買い始めました。その後、全米株式ファンドやETFでVTなども購入したように記憶しています。そして、大半の余剰資金をこれらの投信やETFにつぎ込むようになりました。

しかし、2018年の2月に起きた世界同時株安の時に、数日間連続で数百万円資産が失われていくのに耐えきれなくなり、旧NISAで購入していた全米株式ファンド(2年分)を除き、ほぼ全額(当時約6000万円)を売却してしまいました。この時にリスク許容耐性がなかった理由を振り返ってみると、以下のような項目を挙げることができると思います。

  • リスクを取りすぎていた。資産の大半を投資に回していた。
  • 年齢も50歳を超えて、考え方が保守的に傾いていた。それなりの資産ができたので、もうリスクをとらなくても良いと思ってしまった。
  • 「暴落時は売ってはいけない」という投資の基本が身についていなかった。
  • この時は、世界株式が暴落すると思いこんでおり、下がり切った頃にまた投資を再開するつもりだったが、大きく下げることなく上昇してしまい、再開のタイミングを失ってしまった。

今振り返ると、この時から、きちんとした投資リテラシーを身につけて運用を行っていれば、今頃すごい資産を築き上げていたのにと思いますが、過ぎ去ったことを後悔してもしょうがないので、こうした失敗の経験をこれからの投資に生かしていきたいと考えています。

(その2)に続く